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✎理事長ブログ

秋の憂鬱

2015-11-15
 サンデー毎日に掲載された日大教授水野和夫氏の記事を読んだ。アベノミクスの核心をついた記事でまるで自分の考えを見透かされているような気がした。
 安倍政権は「旧3本の矢」の効果が十分に表れていないのに「新3本の矢」を放ち、2014年度に490兆円だったGDPを2割増やし2020年に600兆円にすると明言している。それには毎年3.4%の経済成長が続く必要があるが、ここ数年、日本経済はゼロかマイナス成長である。これで、GDPを2020年度に600兆円にするのは、近代合理主義とはかけ離れた、まさに「魔術の世界」である。
 確かにこの1年は上場企業の業績は改善し、利益は過去最高を更新している、しかし、アベノミクスでは再分配の設計がないため、「富裕層が潤えば低所得層にも富が落ちてきて全体が潤う」というトリクルダウン理論は幻だ。首相は「100万人の雇用が新たに生まれた」としているが、その実態は年収200万円以下の非正規社員が増えているに過ぎない。それどころか、正規社員は減っているとの報告がある。
 
 世界を見渡すと、時代が大きな曲がり角差し掛かっているように思う。「9.11」の米国多発テロは決して許されることではないが、別の面から捉えると、世界の富をウォール街に集中させることへの第3次世界の反発とも読めるし、「9.15」のリーマンショックも同じように捉えることが出来る。こうした出来事は、極限まで合理主義を追求した結果起こるべくして起きている、言い換えれば、ひたすら経済成長や合理性を求めて突き進む時代が軋んでいるように思える。
 日本の場合、欧米が約300年かけて築き上げた仕組みや豊かさを近現代の100年で実現したのであるから、その歪が世界中のどこよりも顕著に表れているに違いない。
 
 歴史を振り返ると、いつの時代も人間は同じようなことを繰り返している。しかし、時が流れ科学技術が発達すると、精神はむしろ堕落するものである。中世ローマのカトリック教会は価格統制などで不当な利益を得た者は死刑にしていたが、70年代の日本では、石油危機で商社がトイレットペーパーやガソリンを売り惜しみしてもお咎めは無かった。その後も同様なことが続いている。
 
 近代は「相互依存の関係を強める事がお互いプラスになる」という価値観で成り立ってきた。地球の裏側の出来事でも自国に何らかの形で跳ね返るとの考えから積極的に関わりを持とうとし、「大きい事は良い事だ」とばかりに常に拡大路線を走ってきた。しかし、そのような拡大路線時代は終わったのではないかと思う。各国が地球の裏側で起きた出来事でマイナスの影響を受けないよう、それぞれの地域でブロック化し、「小さな帝国」化しつつあるように思ええる。
EUは問題を抱えながらもブロック化の方向に進んでおり、米国もキューバとの対立を解消し北米と中米で一つにまとまろうとしている。
 北東アジアでも日本、中国、韓国は歴史認識の違いなどを乗り越え、共同でエネルギーや食糧を管理すべきである。この共同管理が争いや戦争を防ぐ手段に基盤となることを期待する。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)で描かれる米国、カナダ、オーストラリアなどを含めた環太平洋地域では余りにも大きすぎるような気がしてならない。
 
 アベノミクスはそんな「時代の大きな曲がり角の申し子」のように思える。国の借金は1千兆円を超え財政危機は深刻であるにも拘らず、それでもまだお金を刷り続けて借金を増やしている。もはや、日本経済はゼロ成長ですら難しい。ゼロ成長を起点とした経済や生活、社会や国のあり方世界とのかかわりを考えていくべきである。アベノミクスは魔術の世界に入り迷宮を彷徨っている。
 
 今年の4月、7月の介護報酬の改定後から、施設の収支は悪化の一途をたどっている。これまでは拡大路線を走ってきたが、介護は地域のものであり、私にとっては、親孝行できないままに早く亡くしてしまった父母に対する思いが介護の原点である。施設の理念「私たちは命と尊厳を大切にし、地域に求められる最良の介護を提供します」という言葉を職員と共にもう一度かみしめたい。
 
 施設経営の難しさを森田水産会長である兄に愚痴ったら「地域に役に立つ事業をやっていてお金が儲かったら罰(ばち)が当たるよ」と慰められた。嬉しくて涙が出た。やっと、秋の憂鬱が晴れそうな気がした。
 
平成27年11月15日 理事長 森田隆
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