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✎理事長ブログ

羊の歌

2015-02-27
 2015年羊年も早くも2ヶ月が過ぎ、新しい年が始まったという高揚感はもう何処かに行ってしまった。年末は「消費税値上げの時期を延長する是非を問う」なんていうまやかしの選挙で、安倍政権はまた太ってしまった。何が何でも「戦う日本国」になりたい安倍首相は「集団的自衛権の行使」に向け暴走している。テレビで国会中継を見ても、シナリオのできた学芸会の演劇のように見える。
 政治だけでなく、この国のメディアにも失望する。1月23日イスラム国の人質になって殺害された後藤健二さんのお母さんが会見したテレビ放映の直後、ネットには彼女の悪口が溢れかえっていたし、大手メディアまでもが「身代金を払うべきか否か」とアンケート調査をしたり、殺害予告からの経過時間をカウントしたテレビの番組などを見せられると、この国では、政府だけでなくメデイアも加担して、国民が深く考える事を邪魔しているのかと失望してしまう。
 「安倍首相が、口をとがらせて、2億ドルは人道支援、難民対策のためと言っていたが、それならシリア内戦による難民を多く受け入れているトルコをまず訪問し演説をすべきで、エルサレムでイスラエル国旗の前で記者会見すれば、誰だって日本はイスラム国との戦争支援のために2億ドルものお金を出すと信じるであろう。」といった私の意見などこの国では多分理解されないのだろう。
 テロは忌むべきものだと私も思う。だが、テロに走る側にも理由はある。一体何故「イスラム国」なる組織が残虐なテロ行為を繰り返す事になったのか。そもそも何故「イスラム国」などという存在が出現したのか。その原因はイラク戦争にあるのではないだろうか。強引極まる欺瞞に満ちたイラク戦争で、アメリカはフセイン大統領を潰しただけでなくイラクの行政つまり官僚組織や軍人たちを放逐して「イラクの国そのもの」を潰し、更に、親アメリカのマリキ首相に政権を与えただけで、国民を納得させられる体制ができないままで引き揚げてしまった。その後、放逐された官僚や軍人たちが政府に対抗する形で作り上げた組織がイスラム国なのだ。その一端の役割を担ったのが、イラク戦争を支援した我が国であることも疑いがない。
 アメリカの政治コラムニストのレイハンサラムは「ニューズウィーク」誌で「アメリカが2003年にイラクに侵攻したのは大きな誤りであった。そして、2011年に米軍がイラクから撤退した事もまた大きな誤りであった」と激しく論評している。イラクに侵攻した時の大統領はブッシュ、撤退した時の大統領はオバマであるが、両者とも大きな間違いを犯したという事である。
 そのような政治的深淵を真摯に見ないまま悲憤し、危機意識と怒りのみをたぎらせ「力」の強化に走る事こそが愚かであり、むしろ危険であると思う。この国の首相には、二度と間違いを犯してもらいたくないと心から祈るのみである。
 
 私の母は明治40年(1907年)生まれ、未「ひつじ」年である。「未」には「枝が伸びきらず、果実も熟しきっていない木」という解釈があるが、その「羊」年の母は、私の成長を見ることなく、私が大学受験の時に亡くなった。
 羊はキリスト教においては犠牲の象徴であり、聖書の言葉「羊を右に」にあるように、羊は英語の「ライト」「正義」をも意味している。その一方で、聖書で「山羊(ヤギ)を左に」と記された山羊は、正義とは逆に「悪」の象徴とされている。即ち、羊は理想、山羊は現実である。30歳で夭折した詩人中原中也(1907~37年)は、私の母と同じ羊年の生まれであるが、その詩「羊の歌」の中で、「人間の悲しみ、喜び、そのすべてを感じられる心優しき羊(ひつじ)になりたいと願いながら、羊になれず山羊(ヤギ)として生きなくてはいけない現実社会へのじくじくした心情」を詠っており、私の心に響き渡る。
 
 プロスペクトガーデンの玄関では、3匹の羊が毎日迎えてくれる。羊年の母から生を受けた私は、山羊のように荒ぶる魂を抱えながらも、今年一年、心優しい母羊の子供の羊でありたいと願っている。もうすぐ雛祭りだ。
 
平成27年2月25日 理事長 森田隆
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