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✎理事長ブログ

3月11日が過ぎた(1)

2013-03-18
賑わいが戻った森田水産
混雑している店内
津波に打ち勝った木々
津波に打ち勝った木々
災害時提携の呼びかけ
災害時提携の呼びかけ
 今年も3月11日が過ぎた。テレビも新聞も被災地の現状と復興の遅れを情緒過多に報道している。しかし、どうして復興が遅れているのかを冷静に分析・報道しているメディアはほとんどない。
 震災から2年が過ぎた今、震災復興に対する私見を述べてみたい。
私は、震災復興の原則は震災からの復旧であると思う。震災前の生活を取り戻すことが全てであると思う。復旧できない場合にのみ新しい復興生活を構築すれば良い。津波で大きな被害を受けた宮城県石巻港では、これからまた来るかもしれない津波を防止するために10数メートルの防潮堤が計画されているという。そのために、海岸沿いの水産加工工場や海岸近くにある家々は高台に移転する計画になっており、震災復興は遅々として進まないという。私は、人は生きながらえるために生きているのではないと思う。備えるべきものは、防潮堤ではなく、災害に対する心の備え、そして、いち早く逃げるための避難経路の整備だと思う。自然と戦うのではなく、自然と協調することが大切だと思う。津波で流された家を元のところに再建し、木々を植え、元の生活、元の人々のコミュニケーションを取り戻すことが、復興の原則のような気がしてならない。私の考えは間違っているのだろうか。
 ひたちなかの海岸を襲った津波で全壊した、私の兄の経営する森田水産は、全社員が力を合わせて、全壊2か月後には、元の場所に自力で再建した。会社には国、県からの災害時休業補償があり、直ぐに再建せず、津波に強い建物を検討しゆっくり再建するやり方もあったが、「できるだけ早く元の仕事に戻ることが一番の復興だ。」との社員の考えで、社員が建設現場で建設作業員として働いて再建したという。そして、現在では、震災前の売上げに迫っているという。「会社は震災前と同じだが、社員の心、社員の自信は震災前の何倍にも大きくなった。」とは、兄である会長の弁である。これが真の復興の姿ではなかろうか。
 

 
 森田記念会の施設の庭では、ひたちなか海岸の津波に破壊された家の庭から移植した木々が、新芽を吹き、2度目の春を迎えようとしている。海水に浸かり瀕死の状態からよみがえった、柘植、百日紅、樫 ……。津波に打ち勝った木々を眺めながら、私は、来るべき震災に対する備えを心掛ける。大切なことは、高台に移転するとか、防潮堤を創ることではなく、元の生活に戻って、心の備えをする事だと思っている。自然と協調し、自然を敬う事である。
 

 
 原発についても私見を述べておきたい。私は原子力を使っての発電には反対である。その理由は、発電に利用した後の核廃棄物を処理できない為に、冷やしながら永久にとっておかねばならないからである。言うならば、汲んでもらえない汚物をいつまでも消臭し続けながら、トイレが一杯になったら増設しなくてはならない家に住むようなものである。さらに、発電所を40年程度使った後、廃炉にするために更に40年もかかるというのは、どう考えても効率が悪いどころか、気味が悪い。従って、原子力発電は即座に停止して欲しいが(停止しても廃炉までには何十年もかかる!)、停止できないまでも、新しい原発を創るべきではない。しかし、世界では、驚くべき事に、現在稼働している原発の数よりも多い数(500基余り)の原発新設が計画されているという。そうであるならば、尚の事、日本は核廃棄物の処理を含めて原子力発電の安全性を高める技術を全世界に先駆けて開発すべく努力すべきでなかろうか。
 施設の近くにも東海村原発がある。私は、万が一、東海村で原発事故が起こった時には、医療従事者は、年間20ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルトの放射能を浴びる事が許容されているので、この範囲であれば、たとえ、避難勧告をされても(現状では避難勧告のレベルである)、職員一同に呼びかけて、賛同する職員で施設を運営し利用者を守る覚悟である。施設の須田副施設長は、強制避難を命じられた場合に備え、避難できる姉妹施設といったコミュニティづくりにも着手している。避難できる姉妹施設は同じ被災地にあっては意味がないので、全国に呼びかけている。この被災対応姉妹施設提携といったコミュニティが構築できれば、平時には、施設間の交流や研修などにも利用でき、我々が目指す全国レベルでの介護の向上にも役立つに違いない。原発事故に対しても情緒的報道を垂れ流すだけで、現状の危機、将来への備えについては口をつぐんでいるメディアに腹を立てつつも、地道に自己防衛に励みたい。
 

 
 昨年4月、震災から1年経った頃、プロスペクトガーデンに一人の女性画家が芸術療法士(アートテラピスト)として入職した。そして、施設では、私の名づけた「心のリハビリ」が始まった。心のリハビリの第一作「5月の鯉のぼり」の鯉の鱗は、利用者の手形が鯉の鱗だ。「あの赤い手形は私がおした。」と言って、回診の時に得意そうな顔をしたお婆ちゃんは、リハビリのおかげで心身ともに元気になって施設を後にした。
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