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✎理事長ブログ

2012年元旦に寄せる

2012-01-04
 新しい年の朝、曇った空を仰ぎながら那珂湊で正月を迎えた。未だ、国中が大震災の後始末に明け暮れる中、新しい年の朝の飲み物はお屠蘇ではなく、濃めに煎れたジャワロブスター。昭和43年4月、大学に入って初めてミールで挽いて煎れてもらった本格コーヒー。その時は、ただ苦いだけで、大学受験の勉強の時、母が煎れてくれたインスタントコーヒーの味と同じように感じたが、ある本で、ジャワロブスターは鉱山で働く労働者が疲れをいやすために好んだ慈愛に満ちたコーヒーであることを知った。ジャワロブスターはとても安いコーヒー豆で、大学に入った頃は100g100円であったと記憶している。安さが災いしたのか、味が悪いのか、程なく、ジャワロブスターはコーヒー豆店から姿を消していた。
 
 昨年3月の東日本大震災の時、生活用水はゴルフ場から水を分けて貰って凌いだが、飲み水はひたちなか市から支給されるだけではとても足りなかった。そこで、施設では近隣の井戸のある家から水をもらい、煮沸して、利用者・職員の全員、約200人分の、飲料と食事に使う水を造った。毎日約600リットル。水道が出たのは震災3週間後であったから、その間、職員は交代で毎日毎日井戸水を貰いに行き、煮沸して飲み水を造った。水道が出るようになった時、私は、職員が井戸水を煮沸して作った飲料水を2リットル入りの空のペットボトルに詰めて、1ダース那珂湊の自宅にそっと持ち帰った。職員の気持ちを忘れないためと、煮沸して作った水が、どのぐらい持つものか関心があったからである。
 震災が過ぎ少し気持ちが落ち着いた頃、インターネットで、ジャワロブスターが買えることを知った。200g400円、40年前のたった2倍。久しぶりに味わうジャワロブスターは、大学受験の時の母の思いやり、母の死の直後、大学に入学した時のほろ苦い嬉しさを思い出させてくれた。あの頃の貧しさの思い出は、震災で沈んでいた気持ちに潤いを与えてくれた。
 
 新しい年の朝、大震災の時、職員が煮沸して作った水を沸かした。その水は10か月経っていても澄み切っていた。大好きなジャワロブスターを味わっていると、震災の時に一緒に働いてくれた職員一人一人の顔が浮かんでは消えた。施設の職員に感謝し、利用者の安全を喜び、2011年の総括をした、一日遅れの大晦日。2012年は、将来を見通す庭(プロスペクトガーデン)で、職員、利用者、近隣の方々の皆様と一緒に、生きていて良かったと思えるような素敵な一年を送りたいと願う2012年元旦であった。
 

2012年1月1日 理事長 森田隆
 
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