本文へ移動

✎理事長ブログ

去りゆく夏にSAABを想う

2011-08-22
 今年の夏は楽しめなかったという人が多いかもしれない。東日本大震災、福島原発事故からの復旧復興はまだ遠い先だ。それでも、私は夏が好きだ。その大好きな夏が去ってゆく…チョッピリ寂しい…。
 1981年8月20日、30年前の夏、デンマークのオーフス大学の会議に参加した後、エーレンス海峡をフェリーで渉り、スウェーデンのマルメに着いた。そして、ストックホルム行きの列車に乗った。ストックホルムの王宮で開催されるInternational Continence Societyという尿失禁(おしっこが漏れる病気)の国際学会で口演するためである。当時、日本で、尿失禁の研究をしている泌尿器科医は少なく、私は変な泌尿器科医と思われていた(笑)。北欧は、尿失禁の研究が非常に進んでいたために、尿失禁の国際学会は北欧で開催されるのが常であり、年一回、それも公費(文部省からの出張扱い)で北欧に旅行できるのが、変人扱いされていた森田先生にとっては大きな楽しみでもあった。北欧は介護の先進国であり、スウェーデンはその中心である。介護に人生を捧げるという私の一生はこの時から始まっていたのかもしれない…。
 私は当時スウェーデンで造られていたサーブ(SAAB)という車に興味を持っていた。尿失禁の口演が終わって会場から出てくると、会場(国際学会のため会場としてスウェーデンの王宮が使われた)のロビーに、その車は、静かにそして北極のオーロラのような輝きを放って佇んでいた。学会のメインスポンサーの一つがサーブスカニア社であった。ジェット戦闘機(サーブビゲン)のメーカーであるサーブスカニアは少量ながら、SAABという名前の自動車を造っていた。
 国際学会に出席する世界中の医師を当て込んでか、サーブスカニア社はスポンサーのブースになんと発表されたばかりのSAAB900 turboを展示していた(驚き)。私が興味深そうに車の周りをうろうろしていると、「もう口演は終わったの?」と900 turboの傍らにいたサーブスカニア社の社員らしき人物が親しげに話しかけてきた。話が弾んで、「試乗してみないか。」ということになった。そこに、英国カロリンスカ研究所に留学している同僚がやってきて、3人で話しているうち、スカニア社はその車を日本へ輸出予定であり、私が希望すれば学会期間中ずっと貸してくれるという。なんという幸運。当時SAABの輸入元は西武自動車であり、どうも私は西武自動車に関係のある医者だと思われたらしい。この時から、秋田大学の森田先生は自分の口演が終わるとすぐ車でどこかへ行ってしまうという「森田伝説(?)」がたち始め、外国の学会に行くと、大学の垣根を越えて車好き医者の旅行集団ができるようになった。そして、ストックホルムでのSAAB 900 turboの試乗は大学関係者の間では伝説になった。
 その頃の私は、秋田に住んでいて、初代の真っ赤なゴルフディーゼルに乗っていた。クーラーはなかったが、魅力的なサンルーフがついていた。息子の出産のために、大きなおなかの家内を乗せていったのも赤いゴルフだった。大学病院で仕事をする楽しみの一つは、6階の病棟の窓から駐車場の片隅に停めてある赤いゴルフのサンルーフを眺めることであった。その時、私は、自分の心の中の風景を眺めているような気がした。しかし、生来、浮気性で新しい物好きの私の心音は、スウェーデンの港町マルメでひと目見た、落ち着きの中に情炎を秘めた北欧の淑女のようなSAAB 900 turboの排気音に呼応し始めていた。
 1982年8月、初めて会ってから一年後の夏の暑い日に、私のSAABはやってきた。日本に上陸した第1号車である。ストックホルムで会った、シルバーメタリックのサーブビゲンのように、輝くような翼の美女を予想していたが、やって来た900 turboは、濃紺の落ち着いた北欧の淑女であった。
 SAAB(サーブ)という言葉の響きが快かった。乗っていく先々で「この車なんという車ですか?」と聞かれるのが、ウンチク好きの先生にはたまらなかった。その度に、スウェーデンにあるサーブスカニアというジェット戦闘機を造っている会社が、ほんの少しだけ造っている事、飛行機のエンジンを応用しているために、ターボチャージャーという特殊な吸気システムである事などを話すのが誇らしかった。交通整理の警察官にも訊かれたのにはあきれてしまったが…。サーボという名前の麻酔の器械があるが、大学内では、「森田先生はサーボに乗っている」との噂があふれた(笑)。
SAAB 900 turboは山岳部のコーナーを得意とした。十和田湖畔を走り、奥入瀬を抜けてドライブする時など、いつもストックホルム郊外の風景が思い浮かんだ。
 そして1984年5月、私の愛したSAABは、雨の常磐道下り車線で中央分離帯に激突して一生を終えた。運転していたのは私の友人であり、全く怪我がなく、ホッと胸をなでおろしたが、SAABを失った私の心には埋めることのできない空洞が残った。
 東京街並みの中に、古いSAAB 900 turboの姿を見かけると、突然去った昔の恋人の思い出のように、SAABの思い出がよみがえる。最近、友人からのメールで、オーフスとマルメの間に横たわるエーレンス海峡は、今では、16キロにも及ぶ橋とトンネルによって結ばれ、懐かしのフェリーの姿は見られないと聞いた。
暑い夏が懐かしい……。
 
2011.8.20 森田 隆
TOPへ戻る
【ひたちなか市の介護】介護・リハビリ・認知症でお困りの方は森田記念会におまかせください。